top of page

「あか牛への想い Part 3 ~粗飼料多給型の原点・産山村上田尻牧野組合編 其の二~」

  1. 昨日の続きです。あっ、その前に本日もフジテレビ系列で午後9時54分から「匠の蔵」が放送されます。ぜひ、ご覧ください(笑)

  2. さて、産山村田尻地区は言わずと知れた、あか牛名人の井さんが住んでいる集落です。... なぜ、ここが「粗飼料多給型の聖地」となったのでしょうか? 「粗飼料」とは簡単に言えば、生草やサイレージ、乾草、藁などのえさのことを指します。

  3. 40年ほど前、上田尻の集落の皆さんが、ある方を訪ねたところから始まる。 当時、農水省の技官で、全国の農業試験場で研究員として活躍されていた滝本先生です。 先生は黒毛、短角、あか牛の研究だけでなく、シャロレー、ヘレフォード、アンガスなどの海外品種も研究されていた、まさに「肉牛研究の第一人者」のお一人です。 その滝本先生を産山村での草資源を生かしたあか牛の肥育実験に誘ったのが、「民宿 山の里」の井博明さんで、当時の上田尻の組合長が井信行さん、という僕が日ごろからお世話になっている「あか牛レジェンド」のお二人によって、阿蘇の草原を最大限に活用した肉牛づくりが始まったのです。

  4. 先日、僕がそのうまさに感動した牛を育てる技術は、すでに40年前に完成されていたのです。 滝本先生が「現代あか牛の父」と言われる所以です。 先生はその後も東北試験場長や北海道でのあか牛の肥育に尽力され、第一線を退かれた後は、大好きな産山村を終の棲家とされ、地域の皆さんのために尽力されてらっしゃいます。

  5. 日本の格付けは脂肪交雑(サシ)などが中心に動いているので、評価されませんでしたが、「とある方」を通じ、「とある大手百貨店」に卸すようになり、違う価値観の牛肉として確立してきたそうです。ですので、あまり市場に出ることはありませんでした。 今回、稀に出てきたこの牛を食べ感動し、僕は井さんにさっそく電話。 久しぶりに滝本先生とお話ししたいので、泊りがけで産山村に、先日行ってきました。

  6. 夕方6時から11時までに及んだ「あか牛談義」 僕は様々な疑問を滝本先生に質問しました。 あか牛や短角の日本における肥育の歴史 なぜ産山は粗飼料多給ができたのか? タンパク質と粗飼料の関係性 牛種による月齢と脂質の変性 粗飼料とアミノ酸の関係 牛が大人になる、とはどういうことなのか? などなど、大いに議論が白熱し充実した時間を過ごすことができ、再び、あか牛への情熱が湧いてきました!!いつも湧いていますがw

  7. 育ててくれる皆さんに感謝し、これからも「あか牛」と向かい合いたいと思います。


Featured Posts
Recent Posts
Archive
Search By Tags
まだタグはありません。
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page