top of page

「あか牛への想い Part 2 ~粗飼料多給型の原点・産山村上田尻牧野組合編 其の一~」


  1. 専門用語もいっぱいあり、長くなりますので、興味のない方はスルーされてください(笑) 長いので、2回に分けて書きます。三回になるかもww

  2. ...

  3. 先日、珍しい「あか牛」が届いた。 産山村の「上田尻牧野組合」の「あか牛」だ。

  4. 上田尻の肉に巡り合えるのは非常に「稀有な」ことです。 早速速食べてみた。

  5. 「・・・・・旨い!! なんだ、このあか牛は??!!」

  6. 上田尻の牛は、そのほとんどが「とある大手百貨店」に卸されるので、市場に出ることはほとんどない。 この投稿を読んでいる方のほとんどは「上田尻って、何??」と思われる方が多いと思いますので、少し書いてみたいと思います。 「上田尻の歴史」は、現代の「畜産としてのあか牛」を語るうえで、非常に重要です。 そこで、まずは簡単に、あか牛の歴史を紐解いてみたいと思います。

  7. もともと、あか牛は「役牛」として、在来牛と放牧に強いスイスのシンメンタール種を掛け合わせて改良され、今のあか牛となりま した。

  8. その「あか牛」の始祖となったシンメンタール種が「ルデー号」です。 今でも、その骨格標本は阿蘇中央高校の事務室正面の階段を上がったところに展示されています。 僕にとっては「天照大御神」のような存在です(笑) その後、役牛として、県内全域であか牛が飼われるようになりました。 ほんの数十年前までは、人吉・球磨、天草、鹿本地域などもあか牛の産地でした。

  9. その役割に変化が出たのは、第二次大戦後。高度成長により農業も合理化・機械化が進み、役牛から「畜産」としてのあか牛に移行していきました。 黒毛和牛の台頭、市場の嗜好性の変化、牛肉の輸入自由化など様々な社会的要因で、需要が減ってきました。

  10. 僕がお店を出した10年前。あか牛を出すと、多くのお客様から「黒毛はないのか?」「あか牛なんか出すなよ!」とさんざん言われ、悔しい思いをしてきました。それから僕は「あか牛」をもっと知りたいと思い、週に何度も夜中に車を走らせ、北外輪や狩尾や跡ケ瀬牧野などを早朝から周り「あか牛観察」を始めました。ひどいときは一日中、暗くなるまで草原を眺め、あか牛を眺めて過ごすことも(笑) 今のように、あか牛生産者との直接取引をしていなかった時代は毎週、トレーサビリティーを肉屋さんに持ってきてもらい、肥育は今のあか牛は黒毛とあまり変わらないので、繁殖地を調べ、自分が気に入っている地域で繁殖された牛を買うようにしていました。要は自家粗飼料が多そうな地域や親子放牧をしてそうな地域などに絞っていました。 店では夜中にいろんな部位を買い、実験を繰り返していました。 そうこうしているうちに、坂本さんや井さん、臺さん、服部先生と今のミヤモトの「あか牛」を支える方々との出会いに恵まれました。

  11. さて、そのように動いていく中で、ある地域を知ることになりました。それが「粗飼料多給型あか牛」の「聖地」である産山村田尻地区です。

  12. 明日に続けます(笑)


Featured Posts
Recent Posts
Archive
Search By Tags
まだタグはありません。
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page