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最初の晩餐

「最初の晩餐」

益城町東無田集落。

ここは120軒、400人ほどの専業農家を営む人が大半らしい立派な家々が立ち並ぶ美しい集落。

...

しかし、僕はその「美しかった頃」を知りません。 僕が初めて、その集落に行ったのは5月1日に益城の小学校へ炊き出しに行った後で、いわゆる「全壊集落」になった後でした。

美しい集落は9割全壊、残っている家も半壊もしくは建物は立っているけれど、3mほどずれたり、見事に斜めになっていたり、畑の真ん中を2mほどの幅の断層が数キロにおよび縦断し、家々を破壊している様など、まさに地獄のような風景。

僕が行った当時は、あまりにも危険で、メディアの取材が全く入ってなかったそうで、その存在は知られていませんでした。

炊き出しを手伝ってくれたウルトラハウスの今村さんのお知り合いの中村さんご夫妻を訪ねていき、ご主人が集落を案内してくださいました。 集落の変わり果てた姿に絶句し、涙が止まりませんでした。

集落の皆さんが仰ったのは「私たちは、もう一度、この集落を立て直し、灯りをともしてみせる!」という力強いお言葉でした。

その言葉に、自然と僕は「何かお手伝いさせてください。集落の人たちが集まれるようなお食事会。みんなで会って頑張ろう!ということを誓い合う『最初の晩餐』をやりましょう!」

もしかしたら、集落自体がダメになるかもしれない場所。 もしかしたら「最後の晩餐」になってもおかしくない場所。

だからこそ、みんなで力を合わせて、もう一度、復活するために一堂に会する炊き出しでも、ボランティアでもない「料理人がおもてなしをする出張レストラン」という「最初の晩餐」のコンセプトが自然と頭に浮かびました。

最初の震度7から、ちょうど2カ月の昨日、「最初の晩餐」が東無田の公民館で催されました。

それまでに行われた炊き出しでは、2~30人ほどの人たちが集まっていたそうですが、昨日はなんと130名の皆様にお越し頂きました。

どんな顔で来られるのか?正直、不安でしたが、皆様、本当に明るく笑顔で一安心。 料理もお酒もほとんど残らず、ほぼ完売。 皆様のテーブルを回り、お話した際に「皆さんのおうちはいかがでした?」とお聞きすると「ぜんかーい!!(全壊)」(苦笑)と明るく言われます。 でも、僕は気づきました。この人たちは無理に明るくしてるんじゃない。「不安と恐怖」を心に受け入れ「乗り越えていく勇気と覚悟」が生まれた、のだと。

どの方とお話ししても、そう感じました。

ご飯を作ってあげるだけではない、作ってもらうだけでもない、「してあげたい、してもらう」という関係ではない「もてなした方も、お客様もお互いが元気になる」というのが「最初の晩餐」の肝心な部分。

まだまだ余震が続き、これから本格的な梅雨を迎え、この集落の人たちは「家が崩れないか?」などの恐怖とまた立ち向かわなければなりません。

一瞬でも「忘れてもらう」ことができたら幸いです。

最初の晩餐は始まったばかり。また東無田の皆様とお会いできるのを楽しみにしています。

最後に、ご協力いただいた東無田の区長さんはじめ中村さんご夫妻、集落の皆様、渕上シェフ、松岡シェフ、井本シェフ、猿渡シェフの九州イタリア料理協会の皆様、相藤さんはじめ震災時に共に離乳食の活動をやった女性陣の皆様、マスケラードの末廣師匠はじめ高田先輩、嵯峨くん、潤ちゃんの熊本バーソサエティの皆様、ご協力いただいたキリンビールさん、そして和牛を送ってくださった岩手の生産者さんはじめ多くの全国の農家さん、アルチザンクラブの仲間たち、そして調整役に奔走してくれた今村さん。 他、協力してくださったすべての皆様に感謝申し上げます。

また、皆様と「最初の晩餐」でお会いできる日を楽しみにしております。


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